「遥か何百年も何千年も前から人々を見つめ、守り続けてきた仏像。  人々もまた、仏像を見つめ、向き合い、心を寄せてきました。  そっと仏像の前にたたずみ、その神聖な空気に包まれたとき、あなたは何を感じますか?」

仏像美の世界へようこそ!

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人々を魅了する仏像・・・
その姿にはどんな意味があるのでしょう?
その表情は何を語っているのでしょう?


紀元前1~2世紀、インドで誕生した仏像は、シルクロードを経て中国、朝鮮半島、日本へと渡ってきました。
その後、日本の仏師たちにより様々な仏像が生まれ、長い年月を重ねて今もなお、昔と同じように存在しています。

仏像とは、木造、石造、塑造、乾漆造、金属製などを材質として使用し、立体的に表された彫像を意味します。
こう言ってしまうと、何だか物質的なものでしか感じられませんが、そこに込められた思い、願いは計り知れないほど深いものなのです。


釈迦が伝えたかったこと

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仏像のお話に入る前に、仏像と同じように信仰の対象とされる仏舎利(ぶっしゃり)について少しお話ししましょう。

仏舎利というのは、入滅した釈迦が荼毘に付されたあとの遺骨や棺、荼毘祭壇の灰塵を指すものです。


釈迦が入滅した地、クシナガラの統治部族マウラ族、彼らは当初、仏舎利はマウラ族のものとしていました。

そのため仏教を国の宗教とする周辺国との間には、仏舎利を巡る争いがあちこちで起きる事態となってしまいました。

しかしその後仏舎利は8つに分けられ、容器と残った灰も加えた上で周辺内外の10か所の寺院に奉納されました。


それから200年の時が過ぎ、インド・マウリヤ朝のアショーカ王によりインドは統一され、奉納されていた仏舎利のうちの7か所の仏舎利が発掘されました。

遺骨は細かく粉砕されひと粒ひと粒に、灰塵は微量ずつに小分けされて、最終的に周辺国も含め8万余の寺院に再び配られました。

初期の仏教では教えを貴び、形を持った信仰対象は仏舎利が唯一のものでした。

しかし仏教が日本へ伝来したときには、既に仏像が造られ人々の信仰の対象となっていたため、仏舎利とそれを祭る仏塔は必ずしも信仰の中心ではなかったようです。


釈迦は晩年、弟子らにこう伝えていました。
「総てのものには必ず終わりがある。私の亡き後は私の遺した教えが皆の拠り所である。怠らず弁ぜよ」と。

諸行無常は必然とした上で、教義の伝承を最も重要と説き、物として実在する仏舎利ではなく「仏教の教え」をしっかりと後世に伝えていくようにと伝えていたのです。

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